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蕭皇后 (遼天祚帝)[しょう こうごう] 蕭 皇后(しょう こうごう、生没年不詳)は、遼の天祚帝(耶律延禧)の皇后。小字は奪里懶。 == 経歴 == 宰相・蕭継先の5世の孫にあたる。太安3年(1087年)、皇太孫・耶律延禧のもとにとついだ。太安4年(1088年)、燕国王妃に封じられた。乾統(1101年 - 1110年)初年、皇后に立てられた。兄弟の蕭奉先や蕭保先らは外戚として重用された。 妹の蕭元妃(蕭貴哥)も姉同様にとついで、梁王・耶律雅里、秦王・耶律定、許王・耶律寧らをもうけた。 保大2年(1122年)、遼が金の攻撃を受けると、天祚帝や蕭奉先・蕭保先兄弟とともに西方の陰山(山西省雲中)に逃亡し、まもなく病没した。翌保大3年(1123年)、天祚帝の寵愛を失った蕭奉先・蕭保先兄弟は、その子の蕭昂、蕭昱(天祚帝の女婿)とともに誅殺された。
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